人生の扉 ~私のアルバム~

日常

最近、『竹内まりや / 人生の扉』を聞く機会がありました。

 

この曲は2007年に発売された曲のようですが、私はこの時が初めて。

 

静かなピアノから入るメロディ、語り諭すような歌詞が心に沁み、50を過ぎた私の心にぴったり寄り添ってくれているようで・・・

曲の途中からは涙をこらえるのがやっと、、

それほど心に響いた曲でした。

 

 

 

素晴らしい曲ですね。

 

自分のこと

歌詞の中でもある

「~ 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く

気がつけば五十路を 越えた私がいる」

小さい頃、近所の子共たちと一緒に無心で山や川へ遊びに行ったのは遥か昔のこと。

そんな楽しかった子供時代もとうに過ぎ、ふと振り返るともう既に人生後半に立っている自分がいます。

 

「~どんな小さなことも 覚えていたいと心が言ったよ」

歌詞のとおり、歳を取るごとに過去の記憶が薄れていく自分を非常に残念に思っていました。

 

今回は、私の心に響いた『人生の扉 / 竹内まりや』この曲の紹介と

その歌詞に大きく関係してくる『私のブログ』のことをちょっと書いてみます。

 

私がブログを書く理由

7年前に気軽に始めたこのブログですが、飽きっぽい私でも何とか現在まで続けることができました。

訪ねてきていただいたお客様に私のブログ(駄文ブログですが(^^;))を配信することを大きな理由の一つとしていますが

私の場合、主に以下の3つのことをモチベーションにして継続するようにがんばっています。

 

1つ目は、読んでくださる方に
・目新しい話題を提供したくて

 

2つ目は、自己啓発のために
・何もしないとダメになっていく自分に自己啓発とボケ防止の意味で

 

3つ目は・・・

未来の年老いた私のメッセージとして

 

ここの3つ目が私の中でも大きな割合を占めている部分。

 

年を追うごとに記憶力は衰え、数年前の出来事は忘れてしまい、1年前のこともろくに覚えていなかったりする自分。

「成し遂げたこと」

「残念だったこと」

「あそこへ行った時のこと」

「特別な日になったこと」

など、大切な出来事なのに書いておかなければ忘れてしまうことばかり

 

「満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい 何度見ることになるだろう」

「満開の桜」「秋の紅葉」など、”あの場所へ行った時の写真”を記録していなければ感動したことも忘れてしまいます。

『人生の扉』の歌詞はそのまま私が感じていることであり

「自分の記憶から消えていく前に残しておきたい」のがブログを続けている大きな理由になります。

 

いつかのベッドの上で

一度でも入院を経験された方は、ベッドで過ごす時間が退屈で
外に出たかったという思いがあったと思います。

私も高校2年の頃「脊髄分離症」という病気で背骨の軟骨移植の手術をし、3か月間胴体にギプスを巻き、動けなかった時期があり

あの時は「外へ出たいなー、これじゃ動けない老人みたいだ」と高校生ながら思っていました。

退院してからは健康体そのもの。

今では平気で自転車に乗れるほど足腰も丈夫になり、この時に「寝たきり」を経験しているだけに出来る限り、外に出るよう心がけています。

 

そうは言っても、迫る老いには勝てません。

もう十年もしたら体が劣り、自転車に乗ることもできなくなる日は必ずやってくるでしょう。

 

私も年老いて、外へ出ることが無くなりもしかしてベッド生活になるかもしれません。

それでもベッドの上で自分のブログ『私のアルバム』を見ることができたら・・

(40歳代、50歳代の動けていた時はこんなことをやってたんだ・・)

と、ブログ記事を見てあの頃のことを呼び覚ますことができたら・・・

 

いつか、ベッドの上のじいさんになっても楽しいんじゃないでしょうか。

 

 

私のアルバム

私の人生の日記がこれまでのブログ『私のアルバム』

 

人生長いと楽しいことばかりじゃなく、悲しい出来事もいっぱいありました。

私も友人が亡くなり、従弟も3人亡くし、両親も父親が亡くなった日に母が倒れ追いかけるように他界してしまいました。

 

「ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたいよ」

この歌詞が自分に当てはまり共感できるだけに苦しさもあります。

 

それでもこの先『人生の扉』のように60、70、80、90になっても人生を楽しめたら。。

 

いつまでも。

 

 

子供たちの『人生の扉』は開いたばかり。

 

コロナ禍のこの時期を乗りきって

 

いつまでも。

 

 

 

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