【私のアルバム 懐かしのバイク特集】 ~ 小型バイク編 ~

オートバイ

押入れの奥から久しぶりに出てきた何年も見ることも無く忘れかけていたフォトアルバム。

ページを開いて見てみると、オートバイに乗っていた若い頃の当時の懐かしい写真が幾つか出てきました。

 

今回はオートバイの話題になりますが話を進めていく前にまず、私の年齢のことから先に。。

 

私は今年で59歳の還暦間近な年齢になるですが、それでも自転車(ロードバイク)に乗って体力が衰えないようにジタバタ足掻いているジジイです(^^;)

2016年(53歳)の富士ヒルクライム 1時間25分

2017年(54歳)の富士ヒルクライム 1時間26分

2018年(55歳)の富士ヒルクライム 1時間27分

と、50代でもなんとか1時間30分以内を死守していました。

2019年(56歳)の富士ヒルクライムは1時間31分

で、ぎりブロンズを逃がしてしまいましたが今でも1時間30分は自分の目標にしています。

 

今でも運動したり、あっちこっち行動できているのは、若い頃オートバイで動き回っていた時期(その後のスキーも)があったからこそ、と思っています。

 

そんな自分の若い頃のオートバイの写真を公開するのは恥ずかしいことなんですが、今では見ることも無いオートバイが幾つも出てきます。

 

私と同世代な方には当時を思い出しては懐かしく、若い方では初めて見る昔のオートバイばかりで楽しめるかと思います。

 

今回のブログでは

原付(50㏄~)クラスを『小型バイク』

中排気量クラスを『中型バイク』

大排気量バイクを『大型バイク』

と大雑把に呼ぶことにし、三部に分けてあげていきたいと思います。

 

アルバムに入っていた写真であり、必ずしも全てが自分のバイクというわけではありません。

「懐かしのオートバイ特集」 ということでご了承ください。

 

また、自転車の「バイク」と呼び方が被ってしまいますが、ここではオートバイのことを「バイク」と呼ぶことにします。

 

SUZUKI RG50

1981年頃

バイクを触ったことが無かった頃、近所に住んでいる年上の従弟から50㏄の『スズキ RG50』をタダで譲ってもらいました。

これが私がオートバイにハマるきっかけとなりました。

 

そのころ一緒にバイクにハマっていたKくん(よくブログで登場してくる「ビアンキ」に乗っている高校時代からの悪友(^^;))と免許を取りに行くことを計画し・・・

その先を見据えて原付免許を取らずに125㏄まで乗れる「小型二輪免許」を取得する事に成功、晴れて50㏄のRG50に乗ることができました。

Kくんとツーリングに行った時の模様。

この場所は西伊豆スカイライン。

 

空冷2サイクル単気筒エンジンには、ピストンバルブとリードバルブを併用した当社独自のパワーリードバルブ方式を採用。

RG50用に新開発した流麗なクレードルタイプのフレームは、丈夫で前後サスペンションとのマッチングも良く、優れた操縦安定性が得られた。

-スズキHPより引用-

 

50㏄で非力でしたが、フォークを思いっきり沈めてタイミング良くアクセルを開ければウィリーくらいはできました。

50㏄はノーヘルで走行しても交通法規では問題無い時代でした。

道路でウィリーすると怒られると思いますが(^^;)

このバイクで二輪の基本を覚えていきました。

 

YAMAHA GT50

親戚の家から50㏄「ヤマハ GT50 ミニトレ」を頼み込んでチョイ借りし、Kくんと農道を登ってダートでアクセルターンをして遊んでいるところ。

小型なスタイルながらうまくまとまっていて可愛かったバイクです。

 

「ミニトレ」の名で愛されたヤマハの小さな名車

FX50のエンジンを小さなフレームに載せ変えて誕生した、FT50の後継モデルがGT50。
兄貴分である「GT80」は同じフレームに73ccのピストンリードバルブのエンジンを搭載したモデル。

GTシリーズは「ミニトレ」の愛称で親しまれ、買い物からツーリング、モトクロスごっこまでこなして幅広い層に人気があった。

-BBB HPより引用-

トレール車のダート走行の基本はこのバイクで知りました。

KAWASAKI AR80

カワサキから初の50㏄「AR50」が発売され、同時に80㏄「AR80」も発売されました。

私は原付の30km/h速度制限に引っ掛からないように80㏄を購入。

当時発売されている50㏄とはスピードでは雲泥の差があり、このバイクは小型でスリムながらとても速かった。

仲間と筑波サーキットに行くところ。

筑波山でも上ってたのかな?

 

AR50

AR50/1981年

カワサキ初のロードスポーツモデル。
パワフルな空冷ピストンリードバルブエンジンは、他社の水冷50ccモデルに劣らないものだった。

このエンジンを搭載したAE50やAV50も登場。
1983年にはGPZシリーズをイメージしライトカウルを装備したAR50IIにマイナーチェンジ。

-BBB HPより引用-

YAMAHA YSR50

1988年
就職をして大型バイクを持っていた時代でしたが
オートバイ雑誌『月間モーターサイクリスト』の企画で
『ミニバイク50㏄ チーム対抗6時間耐久レース』
という「鈴鹿GP8時間耐久レース」のギャグで、それまで無かった原付で6時間も耐久するという初のレースがあり本誌で出場者を募っていました。
我が仲間の4人(先出のZ750GPのKくん、女性のTZR250のMさん、GPZ1000RXのヒゲのKiくん(監督)、刀1100の私)で参加することにしてみました。

参加するのはいいんですが50㏄のチームマシンが無い。

なのでこのレースだけのために出場選手の3人でお金を出し合って『ヤマハ YSR50』を中古で私が見つけてきて購入。

MさんがYSR50に乗るこの姿、カッコイイですよね!
(この人、TZR250に乗っていたので50㏄でも同じバイクに見えていました(^^;))

 

リミッターをカット、ウインカー、テールライトを外して穴埋め、サスペンション交換のチューンをし、『西仙台ハイランドサーキット』に深夜移動でワンボックスで向かい出場することに。

少しでもお金を浮かすために、うちの社長にスポンサーになってもらい、カウルに会社名を宣伝することでエントリーフィーを出して頂いてました。

私がカッティングシートで社名を入れ、ほかに黄色のラインを入れ、カウルに3人の選手ネームを入れ、オシャレにマシンを仕上げました(^^;)

 

当時パワーが勝る「NSR50」のほぼワンメイクレースになっていましたが、私たちのような「YSR50」のグループも少数ながらいました。

スピードではホンダにかなわない。

しかし、スタート時の雨でスリップし第一コーナーではかなりの数のバイクが滑ってコケていました。

スローでスタートした第一ライダーの女性のMさんは、転倒の巻き添えに遭うことも無く、

結果、私達は6時間後に中間順位でゴールできました(^^)/

Mさんはコーナーが遅いのですが、体格が小さく軽量とあって、空力抵抗や重量を最低限に抑えることができストレートでも結構速い方。

YSR50にしては頑張ったほうでした。

レースを楽しんだ後は(みんなそれぞれのバイクを持っていましたので)ナンバープレートを付ける事も無く、暫く私の実家に置いていましたがその後、Kくんにお願いして売却して貰いました。

今思うと現在まで大切に保管していたらお宝の一台になっていましたねー。

 

YSR50(1986年発売モデル)

スズキがGSX-R750のイメージそのままのGAG(ギャグ)を発売。

4ストモデルのため絶対的な速さはなかったものの、可愛らしい姿で一躍人気となった。

そして、同年の1986年に登場したヤマハのミニレプリカがYSR50/YSR80となる。

こちらはTZR250イメージで、カラーリングもそのまま。マルボロカラーやテック21カラーも登場しレプリカファンを魅了した。

また、ミニバイクレースでは12インチクラスが登場するなど、まさにブームの火付け役と言っても過言ではない。

翌1987年には後を追うようにホンダがNSR50を投入。

ひと世代前の空冷エンジンを搭載するYSR50に対し、水冷エンジンを搭載しマシンのポテンシャルは一枚上だったことから、あっと言う間にNSR50一色、ワンメイク状態となった。

-BBB HPより引用-

私(左)とKくん(右) 初めてのサーキット走行でYSR50と記念撮影
MさんとKくんとKiくん

20代の頃の話でした。

 

< 中型バイク編へつづく >

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